原発反対デモと原発ゼロへの取組み

7月29日、原発反対の行進に日比谷公園〜国会議事堂周辺に行って来た。残暑とは違い、一番勢いのある暑さの時期にも拘らず、多くの人が日本全国から参加していた。個人、職場、友人、労組、各種地域の会等様々な単位で。皆、それぞれの立場があるだろうが、反原発に対する大きな方向性や想いは同じの人達。

集会を企画運営していく人、参加する人、横断幕や看板を作成してくる人、声を先導して出す方等、皆それぞれのカタチで参加していた。私は何ができるかと想い、自分のリソースを考えたところ、撮影、編集、発信というアプローチで参加しようと思った。

というのも、アイドルの一人がどのチームに異動した等を新聞やインターネットの1面に伝えるマスコミが、これだけのムーブメントを伝えようとしない事に疑問を持ったから。何らかの圧力があるのだろうか。それともそのネタでは発行部数、視聴率が伸びずにペイされないからだろうか。この日の行進、集会へは4〜5万人の方々が参加されたと聞くが、警察の発表では1万人。私も参加して、どう考えても1万人はありえない。その数では東京ドームもガラガラの数。なんか邪気や圧力を感じる。

私も撮影素材があったが、自分の中で何か機が熟さず保留にしていた。折しも9月12日に「政府が2030年代中に原発ゼロを目標設定した」というニュースがあった。(選挙前、しかも20年先の話だが。)そのタイミングに合わせて早速、動画を編集してみる事にした。

No nukes Tokyo, 2012 from hiroyuki soda on Vimeo.

原発目標ゼロにすると、また、K団連という日本の高度成長期時代を推進してきた大先輩の年代の方が、苦言を呈するという状況。その時代は労働集約型で電力を大量に使用して大型工業製品を生産し、外貨を獲得し、国を豊かにしてきた時代であり、その成功体験からなのか電力頼みから脱却できないのだろう。今の時代は知的集約型でプラットフォームを作り、そこにコンテンツを乗せて行き、それを流通させる為の小型端末生産をする時代となった。メカから基盤デザインへ時代がシフトしてきているので、以前の固定観念からの脱却が必要なのかもしれない。気がつけば日本の製造業はいつのまにかオセロの4隅を裏返されてしまっている。

また、知的集約型のグローバル企業にとっては、場所を選ばない仕事の方法も可能になってくる。地球上一周、朝、昼の地域で仕事をすれば組織としては24時間営業、労働も可能になり、且つ、太陽光が入る様に建設デザインを工夫すれば電気使用量は減る。温度をコンとロールしやすい建材を開発、使用していけばかなりの節電は期待できる。

2030年とはどこからどの計算根拠によって出て来たのか明確に発表はされていない。原発をゼロにしていくには、「政府や電力会社、k団連との調整」の次のステップとして、我々国民全員の創意工夫、そして次の世代の人材を担う教育まで含めての施策が必要。K団連の成功体験をしてきた大先輩も、反論にエネルギーを消費するよりも、節電と代替エネルギー開発にエネルギーを消費してもらいたい。創業経験が無く、引き継ぎ経験であれば、なかなか根本的な発想は困難だと思うが、文句言わずに立ち向かってもらいたい。

標記タイトルから内容が発展してしまったが、photographerやfilmmakerの方はマスコミの様にプラットフォームや媒体を持たないが、表現する術を活用して、原発問題始め、日本が直面する問題を積極的に表現/発信していければと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です